さて、今日紹介するCMはある意味有名人もの、といっていいでしょう。出演は奥田瑛二です。CMされている商品はハウスのお家芸でもある「ありふれた食材を新しく食べる方法の提案」のフォーマットに沿っています。意外にも斬新な料理法を思いつかない豆腐という食材はその格好の標的になったのだと思われます。僕が何度も言っているように、ハウスはこうした戦略をいまでもとっています。そこにはなんら驚かないのですが、このCMの面白ポイントは奥田瑛二という人選、それとCM内の舞台美術にあると言っていいと思います。
奥田瑛二といえばこの時代「オシャレでいい男」ってやつだったはずです。そういった人がハウスのCM、というのはよくも考えてみれば結構ちぐはぐなイメージですよね。でもこのCMのポイントはオシャレなわけですから、ある意味いい人選でもあるんですが、よく奥田瑛二が出演をしたものだ、という気もします。「豆腐加工食品」を買うであろう一番のコア層主婦の考えるオシャレ、という意味では最高の人選です。ここでハウスの有名人人選マジックが炸裂です。このCMを見て、奥田瑛二みたいな男がオシャレだって言ってる豆腐料理を夕飯に出す→夫とオシャレなひと時 をもくろんで購入した主婦もきっといるのでしょう。そして現実の厳しさを思い知っているのでしょうが。
さて、もう一方のオシャレポイントといえばCM内で展開されているインテリアです。僕のキャプションからはとんとその様子がわからないとは思うのですが、一口に言えば限りなく生活感のないロフトのような部屋にテーブルと大きく活けた何かの木みたいなのがあるだけです。
中国風、をイメージしているであろうこのインテリア。もう見るからに「80年代のオシャレインテリア」ってやつです。
思えば最近のCMは、こうした意味での「舞台の隅々まで計算されたオシャレの記号」的なものが見当たらない気がします。以前どこかで話をしましたが、この80年代という時代のCMのキーポイントは記号論という論に沿って、それを広告の中で実践するような製作手法をとっていたわけですが、これは良き見本でしょう。その上ナレーションの「僕たちは、オシャレなたんぱく質に敏感です」ってのも、商品を勧めているんじゃなくて、「おしゃれな人はこういうの食べるもんなんだよね、おしゃれになりたければ食えば?」くらいの感じです。
百貨店のCMの時にも少し話したことですが、商品を気分で売ろう、という場合は、その商品を使用している「カッコイイ」人や集団をババーンと見せるのが一番手っ取り早い方法です。それで、見た人に「うわーこういうカッコイイ人のマネをしたい!!」って思わせて商品を売るというわけです。
しかし言っても見れば、みんながそれをまねしたら、その「カッコイイ」集団の「カッコイイ」という部分における優越性はだんだん薄れてきます。だってみんな同じようにやるわけだから、差異がないんですよ。
そして「カッコイイ」のモデルはだんだん再生産を繰り返して、自己模倣にたどり着いてついには死を迎えます。
このCMは、まだ80年代の「カッコイイ」が有効な求心力を備えていたころの見本のようなCMです。
社会学の用語に「準拠集団」という言葉があります。そしてこれに付随する命題として、「自己成就の法則」というものがあります。あんまり細かくは説明をしませんが、噛み砕くと、「人は自分の憧れの人や地位に対してこうなりたい、という集団を定め、これを準拠集団という。そしてその人は自らの準拠集団の立ち居振る舞いを模倣するうちに、実際にその準拠集団と同じ行動パタンとなって、ついには準拠集団のまさに一員となる」というような法則です。僕がまとめたんでイマイチな感じですが。
この法則に沿えば、まさに80年代の人たちはあふれているこうした「オシャレ情報」から自分の準拠集団を抽出して、次々にカッコイイ準拠集団への所属、を成就していったのでしょう。
そりゃあ1億総オシャレ時代にもなりますね。だいたいがオシャレなんて人との差異によって発生するであろう概念なんですから何の意味も持たなくなっちゃう。
80年代が空虚な時代だと回想されることが多いのは、こうしたことへの自己批判も含んでいるのかもしれません。
それにしても、ここで重要なのは奥田瑛二までが無人格な意味での「オシャレ」の記号に成り下がっている点です。大体が今でもそういった感じの立ち位置の人ではあるけれど、この「オシャレの記号」への埋没っぷりはすごいです。
もしかしたら、あまりに世間で言うところの「奥田瑛二イメージ像」に沿いすぎてて、いわゆる僕がよく言う「ハウスの味のある人選」には当てはまらないケースかもしれないです。
まあでも「うわーオシャレだから、奥田瑛二なんだぁ!!直球!!!」みたいな意味では十分に面白物件ですが。
BGM♪ (びん生の写真広告がついたトラックが坂の上を走ってくるカット)
アメリカの夫婦がスーパーで買い物をしている。ここでかごに入っているのは豆腐とサッポロびん生。フライパンの上で豆腐ステーキを作ったり、野菜と一緒に串に刺したりしていろいろな豆腐料理がある。ホームパーティーのようなところでみんなでサッポロビールと一緒にそれらを楽しんでいる。
ゴールデンゲートブリッジの夕日が映り、びん生のアップ。
(先ほどのトラックがこんどはフィッシャーマンズワーフのところを走っている。今度は夜。)
ホームパーティーはまだ続いている。
サンフランシスコの夜景(大分深くなった夕方で、正確には夜になっていない)が映り、「世界がうまいと言い始めた。」のスーパー。
最後にびん生商品カット。全体にナレーションがかぶる。
Na:ジャパニーズフーズはヘルシーね、と坂の街の住人たち。豆腐ステーキのパーティーにサッポロビールは欠かせない。サンフランシスコ湾に陽気な時間が訪れる。世界がうまいと言い始めた。サッポロびん生。
今回久々の紹介で登場するのは1985年のサッポロびん生のCMです。ビールといえばキリンの時代のサッポロビールの傑作シリーズのひとつです。
全体に流れるビッグバンドっぽい陽気な音楽と80年代的ではあるけれど「スタイリッシュ」な坂の町の住人のホームパーティーがビールを飲みたくさせるいいCMです。
僕はビールのCMのなかではサッポロのものが一番好きです。それは僕自身が国産ビールの会社の中で一番好きな味がサッポロビールなのだ、ということには関係が無いはずです(あるのかな)。80年代の前半、生ビールが出てきてからというものすっかりビール界は生ビールに席巻されました。そしていろいろなおかしな形態のビールが出たりし始めます。その中でのこういったCMは誠実さすら感じさせます。
実は僕の記憶の中ではサッポロビールのCMはびんと缶とぐい生(小瓶)の3つできっちり分けて展開していた記憶があります。全部中身は一緒なんですけど、3つにちゃんとシチュエーションを分けて展開している、これがビールの中身に自信がある会社という感じがしてすごく気に入っているのです。
このCMだってびんでなかったらこのホームパーティーの楽しい感じは出せなかったと確信します。
僕はドライビールより生ビールのほうが美味しいと思うし、生ビールよりもラガービールのほうが美味しいと思うんですが、こうして考えると自分が基準ではありますが、お酒の販売戦略がいかにイメージだよりかよくわかる気がします。
ドライビールはどう考えても美味しい物とは思えないけれどCMの戦略が成功して10年以上もトップの売り上げを維持してきました。そんな中で、びんと缶の消費の仕方を分けて紹介するというのは、一見それぞれの消費を伸ばすうまいやり方のようにみえて実は誠実な物売りのやり方でもあるように見えます。
人がビールの飲み方を一つでいいと思っていれば何もいろんな形態で売る必要は無いわけで、それぞれのいい消費の仕方があるからいろんな形態で売られているんですよね。ビール飲みが知らないうちにそれを気づかせてくれるこのCMは本当に素敵なCMの一つだと思います。
ちなみに僕はこのサッポロのつくるサッポロラガーというビールの大ファンです。めったに売っているものではないんですが見かけたらぜひ飲んでみてください。最高です。
さて、僕がハウスのCMが好きだって言うのは何度も言っていますが、この微妙な人選も琴線の一因です。確かに金子信雄は料理マニアで有名ですが、70年代の終わりにこういったキャラのたった使い方をしているというのに脱帽です。では、ハウスは有名人を使うのが好きなのではないか、と思う方も多いでしょう。それは大いに間違っています。少し前に紹介したフルーチェのCMではおそらく無名と思われる女の子をだして、でも雰囲気のいいCMを作っていました。ちゃんと使うべきところに有名人を使っているんですよね。
さて、このCMを見て僕が確信したのは、「金子信雄はアシのおねえちゃんがいるとキャラ倍増」の件です。今更言うまでもないのでしょうが。金子信雄、料理、アシのおねえちゃんとくれば東ちづると誰もが答えるほど『金子信雄の楽しい夕食』は衝撃的な番組でした。やれ「撮りが一回に3本行われ、ずっと金子が酒を飲むので、3本目の回はひどい酔い方」とか「東ちづるはこの番組でジジイの扱い方を学んだ」とか噂の絶えない、しかしファンの多い番組でありました。昼間帯の番組だったこともあって僕はあんまり見た記憶はないのですが、その薄い記憶の断片からもあの番組が公開セクハラだったのはよく覚えているくらいですから、相当だったんでしょうねw
このCMでも最初のカットで金子信雄はおねえちゃんの料理を食い入るように覗き込んでいます。実は料理じゃなくておねえちゃんのおっぱいでもみてたのかもしれませんが。それでその料理を食って一言「うん、許せる」ですからねえ。なんとふてぶてしい親父でしょうか。このCMのおねえちゃんは幸か不幸か東ちづるよりも清純そうなので余計に信雄が黒く見えます。ああ、故人を悪く言っちゃダメですね。
考えても見ればこのCM、信雄が自分で作ったっていいわけです。その方が説得力があるとさえ言えるかもしれない。それなのにわざわざアシのおねえちゃんを置くと言う不可解。いや、でもこれはじつは計算なんでしょうねえ。僕は勝手にハウスのことを「有名人使いの達人」と呼んでいるのはこういうところに由来していたりします。もしかしたら信雄のキャラがアシがいると立つ、ってのはハウスの発見なんでしょうか。本当にこのセンスには感服を通り越して感謝すら覚えます。
さて、僕がこのCMでわからない点が一つ。この「うん、許せる」っていうのは金子信雄の決め台詞なんでしょうか。後年、88年頃の中華三昧というラーメンのCMに出たときも信雄は「うん、許せる」とだけしか言っていませんでした。楽しい夕食の視聴者でなかった僕にはわかりかねるミステリーの一つです。
もうひとつワンポイントメモを。このほんとうふという最後に出てくる商品。家で豆腐を自作するという加工食品ですが、まだ売っております。ぜひ皆様ご利用のほどを。
さて、この日記を始めてから初めて紹介するローカルCMです。僕はローカルCMが大好きで、これも結構集めています。様々な場所でその土地ごとのローカルCMが地元におなじみになっていますが、今日は中でもローカルCM好きに人気の高い三重ものから選んでみました。そう、ここを読んで初めて知った方もいらっしゃると思いますが、三重はローカルCM好きには本当に人気の高い場所です。不思議なCMをたくさんやってるんですね。結構有名なものがいくつかありますが、中でもあまり知られていないのがこのお酒のCMです。
もともと地酒のCMというのはその土地に行かないと見られないものです。それだけに個性豊かで、僕は土地ごとのローカルCMのレベルをはかるのに使っています。つまり、その土地のローカルCMがどのレベルなのかは地酒のCMをみるとわかるんですね。あとはこれも必ず地元のものがある味噌醤油もレベルをはかるのにいいバロメーターとなると思います。
ただし、三重テレビのCMのレベルを知っている方はこのCMをみると意外に思うかもしれませんね。こんなよくないですからwこれはキッチュぞろいの三重もののなかで異色の出来だと思っております。
このCMのいいところは、全編通して人の顔が見えないところでしょうね。それがすごくいい効果になっていると思います。こういうのって出演者の顔が見えてしまっては絶対にダメだと思います。それによって酒よりも、その人が中心になってしまうと思うからです。お酒のCMというのは難しいものです。ほめればどれも同じような言葉になるし、かといって味について何も言わないのも差別化が図れない、という感じでしょうか。そうなれば多分にイメージ戦略に頼らざるを得なくなると思うのですが、そのイメージをどう売るか、というのがこれまた酒の種類によっても大いに違うと思うのです。かつてサントリーのリザーブかなんかのCMで、友人が遠方から訪ねてくる、という設定のものがありました。それと同じような感じでここでは清酒が「遠方より訪ねてくる友の持ってくる品」として設定されているわけです。前者は外国人が演じていましたが、こちらは日本人だと思われるけれど顔の見えない姿です。さて、どちらのほうが酒のCMとして効果的なんでしょうか?
ぼくはもちろんサントリーの作るような重厚でストーリーのあるCMは大いに好きですが、この件に関してはサントリーのおごりがあるんじゃないか、と思っています。訪ねてくる友人の顔が見えることで、中心が酒ではなくそちらに移っているような感じなのですが、サントリーのCMなのでよく見えちゃう、ってやつです。
もちろんウィスキーと清酒じゃ大いに違うわけですが、酒の味そのものではなく、酒が持つ役割を売ろうとしているこの二つのCMの中で、どちらがより効果的かを考えると結構差があるなと僕は思います。
東京近郊でもかつてはテレビ埼玉で力士と言うお酒のCMがあり、それは誰でも知っているものでした。力士は埼玉の騎西というところのお酒だったはずですが、東京の人もみんなその名前だけでなくCMも知っているものでした。しかもたったの5秒のCMですよ?
サントリーのような酒の売り方もあれば、このCMのような酒の売り方もある。それに優劣は付けられませんが、かなしいのは、こういったCMのほうは記録に残らないので、結果としてサントリーばかりが歴史となってしまう点でしょう。僕個人の意見では断然宮の雪のほうがCMの出来はいいと思います。
カウボーイハットをかぶった3人がカウンターのところに並んでいる。
「イシイのBIG130」
同じくカウボーイハットをかぶった男の子が登場する。
「128 ないー」ここで皿が4つ出てくるが3つだけにハンバーグが乗っていて、後の一つは空。さっきのカウンターの3人が声をそろえて
「お前も130cmを超えろ」
すると男の子が空の皿で頭をたたく。するとこぶが出来て、130cmを超えるので、皿に
ハンバーグが登場する。男の子が喜ぶ。
Na:「130cmを超えたら食べ盛り」最後に商品カット。アタック:「イシイのBIG130」
さて、僕の好きなCMイシイ食品の登場です。石井食品といえばミートボールがおなじみですね。で、僕がこの記事を書くに当たってひさびさにおもいだしたのはもしかして石井食品って関東のローカルCMだったのか?というかねてからの疑問です。あんまりほかで見たって話も聞かないし・・・事の真相を御存知の方はぜひ御連絡を。ある時期まではローカルで、業績が伸びたので全国展開になったという例もあるでしょうからうかつには決められませんが。
これは僕の友人が非常に思い出深いCMとしてあげてくれたものです。なるほど。味わい深いですね。なんで130cmが目安なのかは分かりませんが、確かに子供の身長が130cmを過ぎるあたりから急に食べる量って増えだすような気もするし、実は結構説明っぽいCMなのかもしれません。一応御存じない方のためにも説明をすると、石井食品はこういった加工食品の会社で、ミートボールやチキンハンバーグなどが主力商品のようです。僕も子供のころは良く食べていました。このほかにももう少し下った時期にミートボールLという商品があってCMを流していました。ハンバーグにだって大きなサイズのものが合ってもおかしくないですよね。
石井食品のCMといえばもう少し後の時期だとテレ朝系でやっていた藤子不二雄ワイドが主なタイムだったと思います。これは映画が終わった後と言う珍しい時間帯での採取です。珍しいというのは僕の感覚では石井食品のCMってこういう時間には流さないんですよね。前にも少しお話をした「子供番組の時間帯のミステリー」をとく一つのカギはこういった食品CMにあるのかもしれません。こうした加工食品はお弁当に入れられることが多いために、子供の人気がなければ持って行かない商品だと思います。だからこそ、夕方帯のアニメの再放送の時間帯にスポンサーでつくことが多かったし、石井食品もそんな時間にCMを流していたような気がするのです。
こういったCMはその時間帯にテレビを見ていた子供の間だけで共有されて、不思議な記憶集合体を形成しています。僕の前のほうの記事のポンジャンあたりと状況は似てると思います。
最近は石井食品はCMを流していないようですが、このころCMを見てお弁当のおかずに入れて欲しかった世代は今親で、子供のお弁当に石井食品のおかずを入れてるのでしょう。そう考えると何世代かにわたるCM戦略っていうのも結構重要かもしれませんね。
石井食品のCMはどれも本当に個性的でした。このCMも考えうる落ちながら、商品特性について何も語らないと言う結構挑戦的なCMです。しかも「130cmを超えたら食べ盛り」と言うコピーは、とりあえずハンバーグがデカいということは前提にしての、その先の消費のされ方を見込んだかなり巧妙なコピーです。お弁当ってどうしても全部食べて欲しいから、空っぽになってるときにそれが足らなかったんだ、ということには気づきづらかったりしますもんね。さすがお弁当食品(なんだそれ)のプロ石井食品です。
このCM、その友人の話によれば、他にも台に乗って130cmにするやつも合ったんだそう。子供が喜びそうですよね。子供を確実にターゲットにしながら、しかし親が見ているときのフォローも忘れない、これは完全に職人仕事です。
名作の類もいいけれど、こういう「職人CM」の存在も忘れないようにしたいものです。
少なくとも僕はここでそういったCMを紹介していくつもりです。
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さて、このCMは一言で言うと「怖いCM」ってやつですかね。僕は少なくとも子供の頃このCMに震えていたもんでした。だいたいが1978年と書いてありますが、これは初出年代じゃなくて、たまたまビデオから出て来た、そのビデオの録画年です。この時点で明らかに雨が降りまくっていて相当古いものと予想できます。
昔はこういった無記名の公共広告がよく流されていたものでした。最近は見ませんね。無記名なのは公共広告ばかりではなくて、商品広告でも発売元が告知されていないものというのは結構存在しました。ブランディングという考え方がある今では想像もつかないですよね(もちろん裏をかく方法では存在するのかもしれませんが)。
本来「買ってくれ」の大コーラスであるはずのCMの放送時間にこういったものが流れるのは違和感を覚えるものです。それは何もここだけの話ではなくて、今現在だって、急に公共広告が流れれば驚く人はいるはずです。ただそういった感情よりももっと深い意味での不快さ、というようなものをこのCMからは感じてしまいます。例えば今の公共広告に多い骨髄バンクへの登録を求めたりエイズ検査を求めたり、というものは目に見える結果を求めて流しているわけで、その結果への手段としてある種の恐怖訴求になるのも納得がいく話だと思うんです。ところがこのCMが求めているものは道徳心と言う非常に物差しでははかりづらい暗黙の了解の一つです。そういったただでさえ指摘の難しいものを、見ている人が取捨選択を基本的にすることのできないテレビCMという場でしかも無記名で行うというのは決して気分のいいものではないですよね?
この他にもこういった無記名の公共広告には「文化財に落書きをするな」とか「資源を大事にしろ」といった比較的納得のいくものもあれば「伝統を大事にしろ」とかこのCMのような「しつけしろ」といった微妙なものまで、ひいては「食べ過ぎに注意」みたいな内容まであったと記憶しています。ここでいう「納得がいく/いかない」というのはそれをテレビのCMで言ったところで効果があるのか、といういみでの納得がいく/いかないの区別です。
いまでこそこれらのCMは放送番組センターというところが作っていたらしい、と知る余地がありますが当時は本当にわからないわけで、僕は子供ながらにテレビにそういった「テレビのこちら側の世界の虚構」が突如現れるその瞬間におびえていたものです。暗黙の了解なんで一種の虚構でしょうから。
テレビのCMで、意見広告の類いがかなり厳しく他の媒体よりも禁じられていることからしても、半ば強制的にみるものに「道徳」を持ち込む、というのは僕の感覚では気持ち悪いの極みだったりします。
僕は基本的に公共広告は取り上げないつもりでした。というのも、公共広告は「広告」というメディアの場所こそ借りれど、本質的に広告なのか、という点に対して大きな疑問が残るからです。それはじつは広告と言うメディアの枠組みの中にある「これが広告なんだ」という受け手側のコンセンサスを下地にした上での巧妙な意見のプロパガンダのような気がするからです。
でもこの話をいつかはしたいなと思ってきょうはこのCMを取り上げました。この無記名の公共広告って結構味わい深いんで僕の気まぐれでまた取り上げるかもしれませんが。
関係ないことですが、これらの《道徳CM》群の中でだけやたらと良く見るお達しのひとつが「文化財に落書きをするな」というものです。これも僕はかねてからかなり疑問に思っていることの一つです。そもそも文化財じゃなくても落書きはダメなことのはずで、それを文化財に限って言っているというのはかなりピンポイントですよね?しかもほかの公共広告の類いではいっさい見たことがない内容です。この無記名道徳CMでしかお目にかかったことはない、しかしそこでは口が酸っぱくなるほど言われている、これはいったいどういう現象なんでしょうか?
要するに「文化財に落書きをするな」っていうのは一種の決まり文句みたいなものなんでしょうか。「北方領土は日本固有の領土です」みたいな感じで。
うーん謎が多いなあ。
僕くらいのCMマニアになると、ある程度はCMをみれば何年ころのものなのかわかるようになります(これは自慢じゃないですよ。むしろ不名誉だw)。計算機はそんなCMの中でももっとも年代特定が簡単な商品の一つかもしれません。計算機のCMほどに、ある商品の短期間での技術革新が手にとって見えるものはないんじゃないでしょうか。思い起こせば1971年ころの僕の記憶に残っている一番古い計算機のCMは据え置き型のもので、液晶ではなく、30万円近い値段がついていたような気がします。それがたった10年足らずでこのサイズと値段ですもんね。僕の記憶では1979年ころにカード式の計算機のCMを見た気がします(どこかにあるのですが)。ただし値段は3万円近くしましたけど。
とにかくビックリするのがこのアラーム付と言う付加価値です。計算機にアラームがついてる必要ってあるのだろうか、と思うのは現代人の野暮でしょう。電卓ってこのあともゲームがついたりとかいろんな付加価値がついていきますね。このゲーム付の付加価値が任天堂のゲーム&ウォッチになったことは想像に難くないのですが、このアラーム付と言うのはいったいどうなったんでしょうか?
考えてみればこの時代、時計とか自転車も付加価値がどんどんついていって、それで宣伝をしているような部分がありました。時計だったら世界時計に気温まで測れる、みたいな。僕は仕事の都合上世界の時間を把握しなければならないことが多いんですが、主要な都市の時間の計算式なんていうのはほとんど覚えちゃっているわけで、世界時計って必要ないものの一つなんですよね。世界時計ってのは、仕事で使う人用のものでしょうから、夜中とかに「ああ、今パリは夜なのかしら」とか考える人が感慨にふける用のものではないわけで、僕にとってはなんで未だにあるのか分からない商品の一つだったりします。ま、これもさっき言った野暮の一種だとは思うんですが。
商品がその商品そのものの価値ではなくて、付加価値で勝負をしだす、というのは市場の成熟と見ていいんでしょうけれど、結局その後その付加価値がなくなり、その商品が持つそもそもの役割に落ち着いていくと言う過程は結構いろんな商品が繰り返しているところなので、法則として興味深いところです。同じくカシオのGショックなんかいい例じゃないでしょうか。
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BGM♪ 高級そうなレストランの前にカブリオレがつけられている。その車には女性が一人。別の女性が乗り込んでくる。そして二人はおもむろにそのレストランの前に止めた車の前でスープグルメ手に取り、なにやら話しながらふたを開け始める。
Na:お皿もスプーンも今日はいらない。
二人はスープグルメを飲みだす。するとレストランのテラス席で注文をしていた女性が驚いた表情でこちらを見る。
Na:さっと開ければ 私の場所がレストラン。 ミルフルスープグルメ 新発売。
間が開いて更新かと思えばこんな普通の人には何のインパクトも無いCMだったりするのが僕のBlogの不人気の理由のような気もしますねw
仕事をがんばりすぎて風邪を引いて今日から3日ほどお休みするのでがんばって更新の予定です。
今日のCMはミルフルスープグルメです。ミルフルといえば少し説明するとみんな良く覚えている乳酸系のドリンクです。なんかアルプスに住んでいるような女の子が宣伝をしていました。わりとおいしくて、ロングセラー商品だったし、パイナップル味とかイチゴ味とかも出ていたような気がします。結構売れていたような気がしたんですがもう売ってないようです。1984年に発売されたドリンクですが、この時期までドリンク界では未曾有の豆乳ブーム。その豆乳ブームの「その後」を担う商品と言うことで大流行したようです。
今回のCMの驚いちゃうポイントは、携帯スープという商品でもなければ、スープ飲むだけでレストランなのかよ!というお決まりのツッコミでもありません。スープを出すのにミルフルの姉妹品として出している点です。もちろん中外製薬が食品畑にそれほど強いコネクションを持っているとは思えないので、ヒット商品のミルフルの姉妹品と言うことにしたんだ、と言うのはわりと簡単に想像がつきますが、これ、スープを買う側の心理としてはどうだったんだろう?と、考えてしまいます。
もう一つ意外に面白いなと思ったのは、温めて飲むことを全く想定していない点だと思います。その場で開けて、って言うくらいなのでむしろ冷たいまま飲むスープみたいな感じだったのではないでしょうか。今日日ビシソワーズのおかげで冷たいスープは市民権を得ましたが、このころはこれに抵抗がある人も多かったのではないでしょうか?個人的にはかぼちゃスープはともかく(このミルフルのスープグルメはコーンとかぼちゃの二種類を発売)、コーンスープは冷たいのはなかなか好きな口ですが、1987年にそれを提案するのは微妙に時期尚早な気がします。
スープ食品(粉末のものも含めて)のCMの変遷は、「商品に付加価値を持たせてそれによって商品を売る」ということの顛末を見るのに非常に便利で面白い題材なのですが、それはひとまず置いておくとしても、このCMには特記すべき内容が多く含まれています。
まずはスープを手軽なものと捕らえている点です。これは今でこそ当たり前ですがそうではない時期も確実に存在しました。二点目に家庭での使用を想定していない点です。3点目に手軽ではあるが時間の節約を謳っていない点です。これが一番重大かもしれません。
前述したスープ食品のCMの変遷の中で「スープは朝飲むものだ」という概念が植えつけられてしまったために、スープを外に持ち出す、と言う感覚自体がこのころの人にとっては新鮮なはずです。それに加えて、”朝スープ”では常套句のように言われている時間の節約がここでは全く謳われていません。最近のスープのCMでは「スープで朝はゆっくり」的な流れになっていますが(でもそれも考えてみればスープ食品を使用することで時間にゆとりが出る=時間の節約ってことでもあるんですが)、このころはまだまだそういった観点のCMはありませんでした。
むしろ時間を節約すると言うよりも、個の空間を大事にして、好きな場所を「レストランに出来る」ということを強調しているのが非常に面白いです。”朝スープ”が余りによく考えられた旨い戦略だったのでこういう観点はなかなか思いつかなかったのかもしれませんね。
確かに何かを節約して得られるのは何も時間だけではないはずで、僕は素直にこのやり方には感心してしまいました。時期尚早だったのか、価格の問題なのか(こういったカップモノのスープっていうのは家庭で消費する分には粉モノのほうが安いためにあんまり売れない傾向にあるんですよね。要するにやっぱり家庭で朝飲むものだ、って言う概念を覆せなかったんでしょうけれど)姿を消すことになってしまったようです。
こういうCMをみるたびに、むしろ今ってモノの付加価値の存在意義が薄くなっているなあと思います。正確に言えば付加価値で消費されるようなモノ、というのが普通の形での広告に上らなくなってきている、というところなんでしょうが。
なんだかさみしいですね。
BGM♪(歌謡曲風の歌声と曲調) せいたかのっぽで無精ひげ 立たされ坊主でいたけれど 奥様に会ったその日から 一皮剥けた 男前♪
大空真弓が畑にとうもろこしを採りに来る。突然驚いた顔をすると視線の先にかかしが。畑を帰っていく引きのショット。
台所で料理をしていると、コーンの粒が自然にはじける。これに驚きながら笑う大空真弓。
「おいしさたっぷり」 ホワイトシチューのシズル。
♪おいしいシチューになりました♪
♪ハウスシチュー♪ 画面には今夜は・・・ハウスシチューと出る。「グラタンもどうぞ」
僕は本当にハウスのCMが好きなんですよね。何度も言っていることではあるんでしつこくて恐縮です。これは70年代のハウスのCMのなかでも特に胸キュンの一品です。
この時期ハウスのCMの「奥さま役」には大空真弓さんが良く出演していました。最初は若くて僕も区別がつかなかったです。
このCMの一番の魅力はやっぱり歌です。お聞かせできなくて本当に残念だけど、おぼえやすいいい歌なんですよ。歌詞も実に胸キュンですね。僕なんかお風呂につかっていたり、料理をしている時なんかについつい出てしまう歌です。
歌詞がいいじゃないですか「奥様に会ったその日から 一皮剥けた男前」ですよ。これ、要するにとうもろこしの歌なんですが、なんかエロスを感じるのは僕だけでしょうか。うーん考えすぎかなw 無精ひげ生やしているようなさえない男が人妻の手にかかってからと言うもの、男として成長する・・・みたいな。そんなイケない恋愛を思い浮かべてしまいます。立たされ坊主って何を立たされてるんだろうか・・・(僕もバカですね相当)。
僕も若い時にこんな経験してみたかったモンです。
僕なんかがフロや台所でこれを歌う分にはいいんですが、子供ができたりして歌ってたらイヤだなあ・・・やめるように強く言いますよw
とにもかくにも覚えやすくて口をついて出るんですよこの歌。最近のCMってCM用に作られた曲は本当に少なくて、タイアップばかりでこういうCMソングが無いですよね。それがすごく寂しいです。
ああ・・・でもこの歌やっぱりエロスだなあ・・・w
ちなみに途中でとうもろこしが何もしていないのに自然にはじけるシーンがあるんですが、これが驚くほど作りもの。はじける部分のコーンが最初からもう分離してるのが見え見えなんですよ。そんなつたなさも大好きです。
やっぱりハウスのCMって最高です。
BGM♪(かなりボーカルが高めのBGMが流れ、ナレーションは一切無し)
いろんな椅子に座っている場面が写る。会議の場面、老夫婦と子供、酒を飲む男性など。なぜかみんな外国人。
最後に出演者全員が出てきて、簡単な踊りをしながら歌う。
♪ホーウトク ホウトク 椅子はホウトクホウトク
しばらく更新できなくてすみません。実は1月は僕にとって最も仕事が忙しくなる時期なんです。そのせいかほとんどPCが開けずにいます。怠けちゃって本当にすみません。
今日紹介するのは、12/14に紹介したホウトクのCMのもう少し後のバージョンです。この前紹介したCMの2年後ですね。
この前紹介したCMは個人的には74年のものとは思えないほどカッコイイできだと思うのですが、今回も負けず劣らず素敵です。
まずよく言われることですが、日本のCMには外国人が多く出ていますね。ただ、例えばそれがアジアの、しかも中国や韓国の人だった場合その人に対してなんのコンセンサスもなければ「あ、外国人」とは思わない人がほとんどだろうと思います。そう考えれば日本人から見て一目で分かる「外国人」を出しているのは確かに昔よく言われていたように無意識に「かっこいいものにはとりあえず外国人」的な考えがあるのかもしれません。ホウトクのCMも、前のバージョンはこの直球タイプのカッコイイCMだった(人の姿が見えないようになっていたのが秀逸だったんですが)し、外国人を使っていましたがそれはカタコトの話を聞くことで「あ、外国人だ」だと分かるそのセンスのよさだったわけです。
ところが今回は目に見える形で画面に出ています。でも場面は何もスタイリッシュなところはありません。むしろ生活に密着した「椅子のある場面」の演出ばかりです。ここで外国人を使う意味があるのかな?と普通だったら考えると思います。
僕も最初考えた口です。でも考えても見ればくつろぐとき、仕事の時、子供や孫といる大事な時間の多くは椅子と一緒です。しかもそれは全世界変わらないはずです(そうじゃない国もあるんですがとりあえず)。だから何も違和感が無い。
しかもBGMが素晴らしいんですね、このCM。権利関係に配慮して歌詞は書きませんでしたが、世界のどこでも誰かがいろんな感じで椅子に座っている、と言うような歌詞で、曲調が日本の歌謡曲調なんですね。
そう考えるとむしろこのCMは外国人に出演してもらわないと意味が無かったのではないかな、とまで考えてしまいます。どんな国の人でもくつろぐ時はやっぱり椅子なんですよね、って言う説得力があるでしょう?
かっこいいCMにも色々あるけれど、こういった地味なよさもまた「かっこいい」には入るかなと個人的には考えています。
ホウトクはなかなか渋いいいCMをする会社でしたがこの二つ以外は僕は見たことがありません。TBS系列で放送していた月曜ロードショーのスポンサーだったのですが、早くに降りてしまったようです。実に残念。
BGM♪(南佳孝風のBGM。かなりボーカルを立てて流しているので、単なるBGMではなく、曲がメインな感じ。)
女性の隣に新聞を読んでいる男性がいる。女性はなにやらふくれっつらをしているけれど、ドレッシングを渡すと、男性は急に新聞から眼を上げて、うれしそうにサラダにドレッシングをかけ始める。それをうれしそうに見ている女性。
カット変わって、サラダの上に天使が飛ぶ。最後に商品カット。
Na:キユーピードレッシング 念入りな味です。
皆さんあけましておめでとうございます。去年はありがとうございました。一週間ほどお休みをいただきました。今日から再開の予定です。
年始なので、なにか年始にちなんだものでも紹介しようとかと思ったのですが、結局年始の一番最初こそ僕の一番好きなCMを、と思ってこのCMを紹介することにしました。もちろん年始ものも追って後日紹介できれば、と思っています。
カテゴリーのところでも書いたように、音楽がすごく素敵なCMです。残念ながらここではお聞かせできないのですが、AOR風のトラックが素敵な名曲だと思っています。CDやレコードにはなっていないそうなんですが、これはもしもCMでだけ使ったのならばもったいなというほどの出来です。
さて、このCMがCMとして成功しているかどうか見極めようとするときに、多くの人はイメージ先行で売り上げにつながっていないと思われるという一点でNGの判断を下すのだろうと思います。しかし一つのCMが広告として成功しているかどうかはそのCMだけを見てもわからないこともあるものです。ごぞんじの通りキユーピーの強力なブランディングの力は食品広告の常識をことごとく破っています。食品CMといえばとにかくシズル感と商品名告知が重視される中、異例のスタイルでのブランディングではないかなとおもいます。このCMもそんな広告の一環でしょう。もちろんみんなが考えているような「キューピーっぽい」オシャレとはちょっと違うのですが、オシャレな曲とオシャレな感じの絵だけのCMに見えて、実はNaに大物を起用したり(小林清志さんだとおもいます)、実はシズル感が出ていたりと抜かりのない作りだなあと感心します。
まずはキユーピーというブランドのイメージを作る、というのは遠回りのように見えて一番堅実なやり方なのかもしれないですね。ただやり方が食品会社のとるそれではないことが、セオリーに分野は問わないということの大きな証明にもなっているのだろうなと考えさせるCMです。
なんか難しいこと書いてしまいましたが、とりあえずキユーピーのCMって本当に素敵なものが多いですよね。ここでもまた色々紹介していこうと思います。
みなさん今年も一年どうかよろしくお願いします。
BGM♪ 最初に水滴がついている商品カットが現れる。画面切り替わって、レイ・ケネディが商品をもって立っている姿。次に彼がアップになり、商品を飲んでいる。最後に商品カット。
Na:レモンの苦さが心に触れる B&L。
結構前のフレスカについての日記のコメントで寄せられたB&LというドリンクのCMが今日紹介するものです。残念ながらコメントで寄せてもらったものとは違うようですが、このCMも大好きなものです。ちなみに僕はもう一本B&LのCMを持っていますが、やっぱりコメントで寄せてもらったものとは違うようです。
さて、今日のCMのカテゴリは「商品がヤバい!」に入っていますが、僕としては単にお気に入りに入れたいところです。もちろんソフトドリンクのCMを集めている僕としては、こういった商品があったんだ、という楽しみが非常に大きいのですが、なんといってもすごくかっこよく作ってあるんですね、このCM。色味も全体的に青っぽいのがモノクロ的な感じがするし、出演しているレイ・ケネディをそれほど詳しく説明しないところとか、本当に80年代のカッコイイCMのセオリーに沿って作ってるなあ、と実に感心してしまいます。
ちょっと気になるのは、最後の商品カットのところに「関西・関東地区限定発売」とあるんですよね。最近はあえて、最初からローカルで作るようなものはともかく、試験販売として最初にローカルで売るものは、まず静岡か広島で売るのが相場となっています。これは県全体の人口構成が日本全体の人口構成に良く似ているからだ、という話を聞いたことがあります。
ところがこのころって首都圏で試験販売をすることが本当に多いように感じます。サントリーのポップというドリンクもそういう疑惑があるものの一つです(ポップについてはまた色々あるのですが)。
考えてもみれば、80年代のドリンクのCMっていうのは80年代の空気そのものがすごく詰まっていて、そういった空気って本当に都会のものなんですよね。そうなれば首都圏で試験販売しているのは結構納得がいく話だったりします。
僕が一番このCMに関して思うのは、結構おいしそうなこのジュース、何でなくなっちゃったのかな?という点です。
これ、それこそ今出したら売れそうだと思うんですが。そんなに甘くなかったらしいし。僕はすごく飲んでみたいですね。
キャプションを読んでもちっともかっこよさの伝わらないCMですね。いわゆる80年代によくあったいろんなシーンのコラージュ型のCMです。これは部屋のかっこよさがとにかく素晴らしくて紹介CMとして選んでみました。
80年代の丸井、といえばもうそれだけで想像がつくほどの一種の色があったといっても過言ではありません。もちろん丸井のCM自体が関東地区でのローカルだったために、日本の多くの人は見られなかったわけですが、ああ、今確実にかっこいい時代に生きているんだな、という実感を持たせてくれるCMの数々でありました。
もちろんそもそも僕が家具のCMが好きだ、というのはさておいたとしてもこのCMはかっこいいし、それは丸井全体の色だったのです。
いわゆるデパートがその空間をプロデュースすることなしにはもはや生き残っていけなかった、というのは西武百貨店の一連の広告でよくわかるし、その分析は吉見俊哉や、北田暁大の著書でよくわかります。とくに北田は「80年代の広告はその広告制作そのものの方針を記号論においているので、記号論的分析とよく合致する」というようなことを言っていました。なるほど。このCM,記号論者の格好の餌食になりそうなCMですよね。でもそれは当たり前、広告を作る人がそもそも広告論をよすがに作っているからなんだ、ということです。これは今まで気づきそうで気づかなかったことかもしれないです。よく西武のCMばかりが研究の対象になっているけど、丸井も一考の価値があると思いますよ。どうですか、学者さん?
とにかく学者がなんと言おうと、この時代の丸井のCMは素晴らしかったし、こうしたかっこいいCMの色になって行ったのは80年代からだと言う気がするんですよね。丸井が「月賦の丸井」と銘打っていたころの《ニューファミリーの提示》もまたそれはそれで興味深いものがありますが、80年代の丸井のCMのかっこよさは特記すべきものがあると思います。
一つ言えば、学者があれこれ言うよりも前にライフスタイルの提示をCMで行うデパートのCMの数々はもっと研究されてもいいんじゃないかなという気がします。
最近はスパークリングセールと季節キャンペーン以外はCMを打たないようで残念です。
♪BGM 惑星と女性の横顔をモチーフにした劇画風のアニメがめまぐるしく展開する。 様々な色とりどりの食器が空間に現れる。食器のデザイナーが暗めの照明で登場し、名前がローマ字で表されている。
Na:「Dinner ware Adam&Eve」
もうこのキャプションと静止画では何もわかんないわけです。このCM。分かった人がいたらすごい想像力だと僕がほめてあげます。そのくらい意味がわかんない。正直言うとですね、じゃあ動画持ってきてここでバーンと見せたところで多分余計にわかんなくなるんです。このCM。何でそんなCMをここで選んだのだ、と言われればそれには長いわけがあるのです。
たち吉といえば知る人ぞ知る食器の名メーカーなんですが、そうではない人には全然聞いたこともあるはずが無い名前ですよね。しかもそうたくさんCMを打っているわけではない。このCMはあるスペシャル番組のタイムとして流されたものです。そうなればここはたち吉も一念発起してここぞとばかりにたち吉の社名をみんなに覚えてもらえるようなCMを作るぞ!となるのが普通の考えだろうかと思います。
ところがこのCMですよ。さっぱり意味が分からない。僕はたち吉のことを良く知っているし、料理が好きなので食器にも気はかけているから、すぐわかるはずです。でもそんな僕も注意して2度ほど見ないとたち吉だとは分からないわけです。
こういうのって恐らく世間的には「失敗」の部類に入るんだろうと思います。それこそポンジャンのCMのときにちょっとお話した「印象に残らないから忘れられていく」CMの部類だろうと思うんです。
正直言うと僕はこのCM最初は意味が分からなかったけれど、何度か見てるうちにものすごく好きになってしまいました。理由は一つ、心意気ですよ。
言ってみればこのCM、めったにCMなんか出稿しない食器メーカーが大舞台で出したものにもかかわらず「わからんやつはイモ(←ハイセンスでないことの80年代的表現)」と切り捨てるこの真っ向勝負はもはやテレビの視聴者への挑戦状だと思うのです。
僕の勝手な推測では、80年代の前半までくらいは今よりも視聴者のCMというものの表現についてのキャパシティが広かったような気がします。その理由はまたお話しようと思いますが、80年代前半のCMにはこの”大人の視聴者”にいろんな解釈をゆだねたCMが多く存在していたと思うのです。
食器ももはや80年代になればわざわざ選んで買うという行為は立派なおしゃれ行為以外のなんでもないものです。そう考えればアパレル、インテリアのCMなみにハイセンスになったってなんらおかしくはないし、不思議ではないと思うのです。
でもめったに広告を出さないのに、受け手をこれだけ選ぶというのは今のような不況の時代ならばもはや決定した時点で負け組みです。しかも、意味が分からないことで目立とうとしていない、単に見る人のセンスの高さだけが求められるというのは、こちら側にしてみれば実に難しい挑戦状です。
さて、問題はこのCMを失敗と切り捨てるのは広告鑑賞者として正しい営みなのか、という問題です。僕はどんな広告もかならず「広告として機能しているか」の一点だけは忘れずに鑑賞をしているつもりです。このCMに関してだけ言えばどんなに多く見積もっても広告として、売り上げを上げるという意味での成功はしていないと思います。
けれど、どうしても失敗だとは僕には言い切れないんです。それはこういった気風のよさがまさに僕の好きな80年代前半の広告の大きな魅力そのものであるし、当時の視聴者にはこの挑戦が成り立つと仮定できるほどのキャパシティがあったんだ、という一種の憧れがあるのだと思います。
僕たちが「記憶」と「売り上げ=広告の数値的価値」をカギにして「このCMは成功、失敗」と振り分けるのはいとも簡単なことですが、本当にその作業はCMがTVの画面に流された時点で獲得しているであろう社会性や意味合いを正しく理解できるものでしょうか。僕たちはもっとこういった一見「訳のわかんない」CMにも、ポンジャンのCMのようなみんなの記憶に残っているCMと同じように接するべきじゃないのか、とちょっと考えさせられたCMでした。
このCMが流れてもう24年、それでもまだ答えは出ていないような気がします。
今さらサントリーのCMをお気に入りとして出すのもちょっと気が引けてしまうんですが、サントリーが広告上手って言われる理由の一つがこのCMからは見える気がします。
よく言われているところのサントリーのCMがいい、っていうのはウィスキー、ブランデーの類が多いわけですよね。でもそうじゃない単なる缶飲料(飲料、っつってもアルコールですが)のCMもこれだけカッコイイものをきちんと作っている、で、一つ一つ手を抜かない細かいところがウィスキーとかのCMにも現れている感じがします。
ウィスキーとかは売りたいと思っているイメージが賞好みする重厚なものが多いので評価の対象になるのでしょう。こういう酒は重厚じゃいけない。すこし軽々しく、でもかっこよくなくちゃいけない。
重いテーマばかりが酒のCMじゃない、っていうのは当たり前のことなんだと思うけれど、重厚なテーマで賞を総なめにするサントリーもがこういうCMをしかもだれよりもかっこよく作るって言うのに脱帽したいなと僕は思います。
しかし「缶入り」って謳ってるってことは画期的だったんだろうなあ。缶入りジンフィズ。その昔ウィスキーのソーダ割りのウィスタンがバカ売れしたみたいな感じなのかな。
僕はちゃんと作ってシェイクして飲むほうがすきなんですが。
一見なんてことは無いCMです。ところがカテゴリでも分かるとおり音楽が山下達郎なんですよ。CMの音楽を担当するミュージシャンは教授を初めとして結構いるわけですが、ハウスのCMの曲を作るとはヤマタツもなかなか分かってらっしゃる。
残念ながらここでは音楽を紹介することができないんですが、ファンクラブでCMに使った曲(CMオリジナルの曲、ってことでしょうね)を販売しているようです。興味のある方はここからどうぞ。
僕は食べ物のCMが好きなこともあって、ハウスのCMを推進する会を立ち上げているわけですが(どこで展開しているんだ)ハウスのCMといえば男女問わずさまざまなアイドルが出演しているのが売りだったりします。それはもちろん僕の嫌いなアイドルCMのフォーマットに沿っていることも多いのですが、こういうCMがあるとほんとうれしいですね。趣味もいいし。この趣味のよさは小さなたった一枚の静止画でも分かってもらえるはずです。この写真では見えない出演している女の子がすごくかわいい点もポイント高し。僕の知っている限りではアイドルの類ではないのですが。
ハウスのCMがもともとはこういう高レベルのものが多かったことを知っている僕としては最近のハウスのCMは見るに見かねます。あの趣味の悪さなんでしょう。特にウコンの力。中条きよしと木の実ナナですよ。どういう人選だ(あと一人は失念、島崎和歌子だったか)。
有名人じゃない子を出す意味、というのがこのCMからはよくわかる気がします。それをよくわかっているのもまたハウスという会社だったと思うんですが。残念です。